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東京地方裁判所 平成5年(ワ)11762号 判決

主文

1  本訴被告は本訴原告に対し、金一五一万六六七五円及びこれに対する平成五年三月三〇日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  本訴原告のその余の請求を棄却する。

3  反訴原告の請求を棄却する。

4  訴訟費用は本訴反訴ともにこれを七分し、その六を本訴被告(反訴原告)の負担とし、その余を本訴原告(反訴被告)の負担とする。

5  右主文第1項は、仮に執行することができる。

理由

一  本訴請求について

1  本件競業避止特約の有効性等について

被告が原告との間で本件競業避止特約の合意をした事実は当事者間に争いがないところ、同特約は、被告主張のとおり被告の営業活動を制約するものであるものの、その禁止期間、業務の範囲等に鑑み、公序良俗に反すると認めるべきほどに被告の営業活動を過度に制約するものとはいえない。

また、被告は、右合意は退職手当の支払の条件とされ、事実上強要されたものである旨主張し、本人尋問においてその旨供述しているが、就業規則上、退職時に誓約書を提出すべき義務が規定されている事実(《証拠略》により認定。)、被告が平成元年一二月、右特約と同旨の特約を含む原告及び原告の親会社との間の社員契約書に署名している事実(《証拠略》により認定。内容を確認する時間的余裕を与えられなかつたとする被告の供述は措信できない。)及び《証拠略》に照らし、右供述を採用することはできず、その他右主張事実を認定するに足りる証拠はない。

その他、右特約ないし右特約に基づく本訴の提起が公序良俗に反し、あるいは権利の濫用にあたると認めるべき事情の存在は認められない。

2  被告のダウ・ケミカル日本株式会社に対する営業行為について

《証拠略》によれば、被告が、平成四年二月二六日ないし二八日、ラフォーレ修善寺で行われたダウ・ケミカル日本株式会社の研修に講師として出席し、同研修に出席した同社の従業員一九名に対し、企業活動の過程において生起する諸問題を解決し、意思決定をするための方法について、教育を行つた事実を認定することができる。

被告は、右研修において、出席者が提示した具体的な問題についてその解決案を提案するコンサルティングを行つたが、教育を行つていない旨供述しているが、同供述は、前掲各証拠に照らし措信できない。なお、右問題解決、意思決定の方法は、その性質上、一回の研修により完全に習得できるものではなく、ケースメソッド等により繰り返し訓練を受けることにより、より確実に習得されるものといえるから、従前KT法の教育を受けた者を対象に前記のような教育を行うことは不合理なことではない。

そして、被告が教育を行つた問題の解決及び意思決定の方法は、原告会社が提言しているKT法と同一のものであつたかどうかについては、前掲各証拠上必ずしも明らかではないが、《証拠略》によれば、KT法も企業活動の過程において生起する諸問題を解決し、意思決定をする思考方法を論理化したものであり、原告はこれをケースメソッド等により顧客会社の幹部従業員に教育する業務を行つていたものと認めることができるから、被告が行つた前記教育は、原告の業務と実質的に競合するものということができる。

なお、被告は原告に在職中、ダウ・ケミカル日本株式会社を顧客としてKT法による教育を担当したことがあつた(《証拠略》により認定。)。

右認定事実によれば、被告は、原告と雇用関係の終了後一二か月以内に、被告と原告との雇用関係の終了までに原告が教育を担当した相手に対し、原告と競合して教育を行い、本件競業避止特約に違反したものと認めることができる。

3  原告の損害

(一)  ダウ・ケミカル日本株式会社の担当者であつた沖田政憲は、被告に対し本件研修を依頼した経緯について、平成四年に実施すべき研修は平成三年一〇月ないし一二月に計画、策定するところ、同計画において原告に教育等を依頼する予定はなかつた旨の報告書を作成し、被告は、本人尋問において、平成四年一月下旬ころに右沖田から右研修の担当を依頼された旨供述している。

しかし、右報告書において、原告に依頼する計画がなかつたとするのは、被告に依頼した結果として右計画がなかつたとするものか、原告との取引を終了すべき積極的な理由があつたため原告に依頼しなかつたものなのか、また、被告が本件研修の担当を受任しなかつた場合、原告に依頼する可能性がなかつたのか、その趣旨が明らかでないし、右報告書の内容に照らせば、被告は平成三年一〇月ないし一二月に本件研修の担当を依頼されたものと推認されるところであるから、右報告書及び供述によつては、原告が本件研修を担当する余地がなかつたと認めるには足りない。

そして、ダウ・ケミカル日本株式会社が平成二年一〇月に一回、平成三年二月に二回、原告に依頼してKT法による教育、研修を実施していた事実(当事者間に争いがない。)及び本件研修の前記内容からすれば、被告が右研修の担当を受任しなかつた場合、原告は継続して本件研修の担当を依頼されることを十分に期待できる立場にあつたものと認めることができるから、原告は、被告の競業避止特約違反行為によつて本件研修を受任する機会を喪失し、右受任によつて得られたはずの利益相当額の損害を被つたものと認めることが相当である。

(二)  《証拠略》によれば、本件研修に出席した受講者数は一九人であつた事実、原告の料金はAPEXコースで二〇人以内を対象とする場合一九〇万円であつた事実、右料金中には、費用として、教材費一人あたり五一七五円と米国の親会社に支払うべきロイヤリティー(売上の一五パーセント)を含んでいる事実を各認定することができる。《証拠判断略》

右事実によれば、被告の本件行為による原告の損害は、本件研修内容に対応すると認められるAPEXコースを受任した場合の原告の純益相当額である一五一万六六七五円と認めるのが相当である。

よつて、本訴請求は、右額の損害賠償金及びこれに対する訴状送達の日の翌日(平成五年三月三〇日)以降の遅延損害金の支払を求める限度において理由がある。

二  反訴請求について

1  反訴の請求の原因事実は当事者間に争いがない。

2  反訴の抗弁について

(一)  《証拠略》によれば、反訴被告は平成元年七月一日以降、就業規則の退職手当の支給額に関する部分を反訴の抗弁1記載のとおりに変更した事実を認定することができる。

(二)  反訴原告は、右変更を承諾していない旨主張するところ、《証拠略》によれば、右変更は、年俸額を相応に昇給させていくために退職手当引当金が負担にならないように退職手当額の上昇を抑制する必要があることを理由として、反訴被告の全従業員に対しその旨説明のうえ、実施されるに至つたものであつて、変更内容は、退職手当の算式を、従前は退職時の年俸に係数及び勤続期間を乗じて算定していたものを、退職時の年俸の代わりに、右変更前の年俸にその後の昇給分の二割を加算した金額に同様の係数及び勤続期間を乗じて算定することとしたものであり、右変更により、変更後の年俸の昇給割合に比較して退職手当の増加割合がより小さくなる結果を生じると認めることができるものの、反訴被告においては就業規則において年俸制が採用され、一定の昇給を保証した規定がないため(《証拠略》により認定。)、将来の昇給及びこれに伴う退職手当の増額は不確実な事実であること、右変更により、退職手当の額が減少することはなく、勤続期間に比例して増額されることは従前と変わりがないこと及び右変更理由を考慮すると、反訴被告の従業員に不合理に不利益な労働条件を課するものとはいえず、反訴原告の承諾を得るまでもなく、反訴原告に対して効力を有するものと認めるべきである。

また、反訴原告が退職後も変更後の算定基準に基づき支給された退職手当の額について何ら不服を申し入れた形跡がないことに鑑みれば、《証拠略》どおり、反訴原告も右変更について了解し、異議を述べていなかつたものと推認することができる(《証拠判断略》)。

なお、就業規則の変更に関する労働基準法所定の手続の履行は、変更後の就業規則の効力要件ではないものと解すべきであり、この点に関する反訴原告の主張は失当である。

よつて、右変更は反訴原告との関係においても効力を生じたものと認めることができるところ、反訴原告は退職手当として、変更後の算定基準による退職手当額を上回る五五五万〇〇七〇円を受給している(受給額については当事者間に争いがない。)から、反訴原告に対する退職手当は支払ずみであると認めることができる。

3  よつて、反訴の抗弁は理由があり、反訴請求は失当である。

三  以上によれば、本訴請求は前記限度において理由があるので、同限度でこれを認容し、反訴請求は失当であるので、これを棄却する。

(裁判官 中山顕裕)

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